生活の短歌

ティッシュにも肌理(きめ)のあること眺めおり
肌という字を宙になぞった


ティッシュペーパーを見ていると、印刷用紙のような平滑な表面ではなく、柔らかくさらさらとした毛羽が立っていることに改めて気づいた。
表面感というか、テクスチャというか、これは「肌理」と呼ぶべき感触だなと思いつつ机の汚れを拭いていると、急に肌理という字に含まれている「肌」という字が生々しく思えてきた。うーん、肌かあ、という気分だ。
目の前に置かれている200組入りのティッシュボックスが、なんだか微妙に質量を増したようにさえ思えてくる……とまで言うのは言い過ぎか。
初めてtissueという英単語に出会ったとき、その語義に「(細胞などの)組織」と出ていて、ティッシュってそんな意味なの?と意外に思ったなあ、ということも思い出した。

午後10時無人の家の歯磨き粉
ひしゃげて残す力のかたち

夜に歯磨きをするとき、歯磨き粉のチューブが、朝に握りつぶしたそのままの形で洗面台に残っていた。朝の自分はこんな風に握ったんだな、という拳の形までしっかりわかる。そして醸し出す”力”の気配に、ある種の堂々とした印象を感じる。
誰もいない家で何時間も、歯磨き粉のチューブは朝に込められた力を残し続けていたこと、時間を超えて人間の気配や力の気配が残り続けたことを面白く感じた。

 

信号機たちは光で会話する
夜通しかけて二語の明滅

家の周りに信号機が多い。
なかなか青に変わらんなと思いつつ待っていると、ふと、向かい合った信号機たちがランプの点滅を通して互いにコミュニケーションをとっているのではという気がしてきた。
人間には気づかないほどの超スローペースで、少しずつ少しずつ、微妙に点滅のタイミングを変えることで何かを伝えあっているんじゃないかと。
交通事故のことを話す信号機、なんてモチーフはちょっとホラーっぽくもあるし、結構楽しいアイデアじゃないかと一人で満足していたら、後日、宮沢賢治が電車の信号が会話する童話を書いていたことを知る。
まあよくあるアイデアかと思いつつ、短歌にはした。