‥‥尽くせぬもの

図書館に行くと、1冊の本との出会いと同時に、何百冊との「生きてるうちに読めることのない本」との出会いがあると思っている。
月に20冊読む生活を60年続けたとしても、読める本は1万5千冊に満たない。
一方で、公立図書館の平均的な蔵書数は12万冊とも言われているらしい。
図書館で背表紙を眺める本のほとんどは、私が死ぬまでにもう読めない本なのだ。

ところで、街を歩いていると居酒屋や蕎麦屋、街のすし屋みたいなものも目に付く。
インスタグラムを見ていると、美味しそうなレストランがたくさん出てくる。
ふと、飲食店でも同様のことが起こっているんじゃないかと思って計算してみた。

子供のころと老後を除いた60年間を、外食を積極的に楽しめる期間としよう。
その期間、毎日どこかに外食しに行ったとする。朝食は対応していない店が多かったり、ランチは職場の近くで取らざるをえなかったり、等あるので、自由が利く外食として1日1回の外食とした。これを60年間続けるだけでも、相当極端な外食フリークである。

そこまでやったとしても、行けるお店は2万2千店舗。対して、東京都の飲食店登録は8万店に迫る。かつ、その中身は常に新規オープン、閉店で入れ替わり続けている。
そして大阪や名古屋、神奈川に足を伸ばせば、またいくらでも飲食店はある。

街を歩いていると、死ぬまでに入らない飲食店ばかりが目に入ってしまうということだ。
旅先にいけば、死ぬまでに2度と目にしない飲食店の看板も多いだろう。

 

曽根崎心中で、死にに行く男女が、すべてこの世の見納めと思って草木や空を眺めるシーンがある。そんなにありふれたものが2度と見られないなんて、と、死にに行く身のはかなさをうたうシーンではあるが、よくよく考えてみれば現代でも、2度と繰り返すことのない「死ぬまでの読み納め」「死ぬまでの食べ納め」「死ぬまでの見納め」はかなりカジュアルにあふれている。
死ぬまでに●●尽くせないものばかりである。